赤いギターと白い雲
ベンチャーズとともに駆け抜けた青春

          章 青雲編
       
        1.サウンド・オブ・サイレンス

 1972年春、秀は県立の高校に進学した。
 この高校では、県立高校では先駆けといっていい、「自由服制度」がこの年度から実施されている。つまり、常識の範囲ならば、何を着て通学してもいい訳である。
 しかし、ファッションといえば、ベンチャーズのスーツ姿か、グループ・サウンズのミリタリー・ルックぐらいしか頭に残っていない秀は、私服で登校するのに、最初はおっかなびっくりであった。
 だが、この自由服制度こそが、後の「虹沢 秀、伝説の青いズボン通学」の生みの親なのであるが、それは、まだまだ後の事。

 高校入学後、秀はクラブ活動にも入らず、クラスメートとなんとなく過ごす日々が多かった。
 中学の時に陸上の長距離走をやっていたとはいえ、高校に入ってまで続けるほどの情熱はなかったし、かといって他に熱中するべき、心動かされるものにも出会っていなかった。

 そんな5月のある日の放課後、秀はいつものように下校するために、校門に向かって歩いていたが、その途中校舎内のどこからか、突如としてサイモンとガーファンクルの「サウンド・オブ・サイレンス」のイントロを奏でる、エレキ・ギターの音が響いてきた。
 秀が思わず足を止めて聞き入っていると、イントロの後1コーラス目の歌が入り、やがてベースとドラムのリズム隊が加わってくる。
 毎年恒例で行われているという合唱際で、サウンド・オブ・サイレンスを歌うクラスがあり、そのバック・バンド担当のメンバーが、教室に楽器を持ち込んで、練習をはじめたようだ。

 秀は、小学生の頃、亀戸駅近くの一軒家の屋上から響いてくるエレキ・バンドの音に耳を奪われて、足を止めた時のことが脳裏によみがえり、しばし立ちつくしていた。

 「サウンド・オブ・サイレンス」のイントロの音は、まさに「エレキ・ギター」のサウンドであった。しかも、このときのギターの音は、なかなか忠実にレコードの「あの音」を再現しているように思われた。
 この時期、秀はまだディープ・パープルやレッド・ツェッペリンなど知らず、かろうじて当時の高校生アマチュア・バンドの必須であった、グランド・ファンク・レイル・ロードの存在を多少認識していた程度であった。

 そんな秀にとって「サウンド・オブ・サイレンス」のような、透明感のある「エレキ・ギター」の音を生で耳にしたことが、脳細胞に刺激をあたえられることになり、長い間眠っていた「ギター」に対する情熱が、突如として蘇ってくることになる。

 秀はその夜、「サイモンとガーファンクル」を聴いた後、久々にベンチャーズのレコードをかけた。

            

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