赤いギターと白い雲
ベンチャーズとともに駆け抜けた青春

             6.GSに夢中

 年が明けて、1968年の4月で秀は6年生となった。
 この時期、日本のポップス界では前の年から引き続き、グループ・サウンズの人気が最盛期にあった。
 秀のレコード・コレクション(といっても、年に3〜4枚買うだけであったが)も、ベンチャーズからGSに移行し、兄が買った、いくらかアダルトなスパイダースの「フリフリ」を皮切りに、ワイルド・ワンズ、サベージ、テンプターズ、そしてタイガース等のレコードが、ポータブル・プレーヤーのターン・テーブルで回っている事が多くなった。

    

 TVのスイッチをひねれば、毎日必ず何かしらの番組にGSが出演していて、学校でも女の子達の話題は「タイガース」「テンプターズ」「ワイルド・ワンズ」等に集中していた。
 仁村陽子は、テンプターズの萩原健一にぞっこんで、中田信子はタイガースのジュリー、糸川多英子はジャガーズの岡本 信に夢中だった。
 秀が気になる渋山ゆりは、ワイルド・ワンズの植田芳暁が好きだと言っていたようだ。

 子供達が日頃出入りしている駄菓子屋にも、GSのブロマイド(大人の多くは「プロマイド」と言った)のコーナーがあり、しかも日を追うごとに、そのスペースを拡大していた。
 秀も、その頃音楽以外では、映画の「ゴジラ」シリーズや、TVの「ウルトラQ〜ウルトラマン」等、怪獣ものに傾倒していて、怪獣もののブロマイドも同じように人気があったのだが、少ない小遣いでブロマイドを買うのに「地底怪獣マグラー対ウルトラマン」にしようか「ワイルド・ワンズ」にしようか迷ったほどであった。

 秀のGSの好みは、どちらかといえば「髪の毛の短いグループ」に軍配があがっていた。
 家族でTVを見ているとき、タイガースやテンプターズ、ジャガーズ等の髪の毛の長いグループが出ると母親が、
「何、あの人達、きったない髪の毛して。床屋さんに行ってないんじゃないの?」
 などと口うるさく非難し、逆にブルー・コメッツやワイルド・ワンズ、ヴィレッジ・シンガース等、髪の毛が短いグループに対しては、
「この人たちは真面目そうでいいわね。」
と高い評価を与えた。
 これも多少影響していたかもしれないが、寺内タケシ、加山雄三、加瀬邦彦といった、秀のお気に入りのギタリストが揃って短髪だったこともあるし、何より彼の頭の中で頂点にあるベンチャーズが、オールバックでビシッと決めていた事が、一番の要因だった。

 秀は、日本のミュージシャンの中では、技術的には「津軽じょんがら節」や「運命」で度肝を抜かれた寺内タケシを、ヴォーカリストとしては、そのハスキーな声が魅力的なワイルド・ワンズの植田芳暁を崇拝していたが、ルックスや雰囲気を総合すると、ワイルド・ワンズの加瀬邦彦が、一番のお気に入りだった。

    

 当時、6歳年上の兄がMG5やバイタリス等の整髪料を使って、アイ・ヴィー調の横分けを始めたのに影響され、秀も横分けにする事が多かったのだが、加瀬邦彦の「8:2」分けは、その時の秀にとって、きわめて格好の良いものであった。
 そして加瀬邦彦がヤマハの12弦ギターを使って、「青空のある限り」や「愛するアニタ」で「これしかない!」という、ファズのきいたフレーズを決める時、初めてベンチャーズを聴いた時のような衝撃を受けてしまったのである。

            

TOP-PAGE