赤いギターと白い雲
ベンチャーズとともに駆け抜けた青春

         3.下町エレキ事情

 年が明けた正月、秀はお年玉の一部を使って、初めて自分の小遣いで、ベンチャーズのレコードを買った。
「二人の銀座」と「バットマン」のシングル盤である。


  

  

 このころ、秀のお気に入りは、「二人の銀座」のジャケットのドン・ウイルソンであった。
 このジャケットでは、ドンはオール・バックではなく、横分けで、しかも銀髪で、少年の目には、とてもカッコよく映ったのである。
 ギターを弾く姿勢も、足をピシッと揃え、背筋もスッと伸びて、たいそう美しい。
 後々、本格的にギターを弾くようになると、ひたすらノーキー・エドワーズに傾倒してゆく秀であったが、まだまだこの頃は、誰がリード・ギターで、誰がリズム・ギターなのか、そんなことはお構いなしなのであった。

 秀の一家が住む、東京都江東区大島の近辺には、今でこそ地下鉄の都営新宿線が開通しているが、当時は江東区内の鉄道といえば、今でいうJR、国電だけであった。(もっとも、道路上を、今は廃止された都電が行き来していたが)
 その国電の「亀戸」が、江東区内唯一の鉄道の駅であったが、当時、秀の家の方向から出入りする「東口」は、商店街もなく、人通りもまばらな、さびれた町並みであった。
 亀戸駅東口を出て、京葉道路を千葉方面に、1、2分歩いたあたりに、二階建ての民家があって、その家の屋根の上に「屋上」のような物干し場がついていた。
 毎週日曜日の午後になると、そこからエレキ・ギターやドラムの音が鳴り響いてくるのを何度か耳にした秀は、時折その家の10メートルほど離れたところで、じっと聞き入る事が多くなった。
 ラジオやテレビでしか聞いた事のない、生のエレキ・バンドの音は、秀の胸を大きく揺さぶった。

 おそらく、大学生のバンドだったのであろう、秀の耳がまだ音楽をよく知らない小学生のものだった事を差し引いても、かなりの腕前であったと思われる。
 ベンチャーズに心を縛られてから、歌の入ったポップスには、今ひとつ興味が湧かなかった秀は、そのバンドがローリング・ストーンズの「黒くぬれ」などをやったりすると、がっかりした。
 しかし、我慢して待っていると、必ずベンチャーズの「ドライヴィング・ギター」や、寺内タケシの「運命」等を、演奏(当のバンドは、練習をしていたのだろうが)するのであった。
 今思えば、よく近所から苦情が出なかったものであるし、二階屋の物干しとはいえ、ビートルズの「レット・イット
ビー」を先んじること2年も前の事なのだから、恐れ入る。現在と違って、「貸しスタジオ」なるものが、存在しない時代だったのだ。
 しかも、ストーンズと、ベンチャーズ、寺内タケシのナンバーを混在してレパートリーにしている、というのも、この時代ならでは、というべきであろう。


          
  
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