赤いギターと白い雲
ベンチャーズとともに駆け抜けた青春

         第一章 黎明編

         1.卵からかえったヒヨコ(1)

 
時は1966年。少年「虹沢 秀」は、まだ小学校4年生の「ヒヨコ」であった。
 卵からかえった「ヒヨコ」は、最初に見たものを親だと思うのだという。
 少年は、それまで、好きな「鉄人28号」や「おそまつ君」や「オバケのQ太郎」を描くのが好きな、漫画家を夢見るヒヨコであった。彼にとっての「親」は、横山 光輝氏であり、赤塚 不二夫氏であり、藤子 不二雄のお二人だったりする訳である。

 その少年秀に、新たに「ヒヨコ」となる衝撃的な機会がおとずれた。
 その’66年初夏のある日。
 おりからの「エレキ・ブーム」真っ只中、秀の6歳年長の兄が、高校からの帰りに、1枚のコンパクトLPを、レコード屋から買ってきた。
「おい、ベンチャーズのレコード買ってきたぞ。」
「え、なに、ベンチャーズって。」
「なんだ、知らないのか。とにかくカッコいいんだ、聴いてみろ。」
 その日まで、秀の家にあるレコードといえば、クラシックの「中央アジアの高原にて/禿山の一夜」「動物の謝肉祭」と、名も知れぬ歌手のクリスマス・ソングだけであった。
 エレキ・ブーム自体は、前年の'65年から火がついてはいたのだが、マスコミの情報の浸透が、今ほど急速ではなかった当時、平凡な家庭の高校1年生と小学校4年生の兄弟には、一年遅れで、ようやく流行のムーブメントが押し寄せてきた、という訳であった。

 さっそく、秀の兄は、レコードをジャケットから取り出し、ポータブル・プレーヤーのターン・テーブルに乗せた。
 シングル盤と同じ大きさながら、A面B面合わせて4曲も入っている。「レコードは黒い物」と思っていた秀だったが、そのレコードは、なぜか透き通った赤い色をしていて、子供ながらに、「流行の最先端の輝き」のようなオーラを感じた。



 ジャケットはオレンジ色で、何やら思い思いの格好で、楽しそうに手拍子したり、身体を大きく傾けてギターを弾いたりしている、外人のおじさん4人組の、モノクロの写真がプリントされていた。



 ジャケット裏面には、そのグループの、ステージ写真があり、真ん中に立っている、額の広いおじさんの,眠たそうな目が、秀には印象的だった。



 そして、レコード盤に針が落とされた、その瞬間から、彼の人生が大きく左右されようとは、秀自身、まったく予感すら感じていなかった。
 にもかかわらず、ザ・ベンチャーズは、まさに「ヒヨコ」だった秀にとって、親となり得るに値する、偉大なる存在となっていくのであった。

               

TOP-PAGE