35.文化祭(6)

 T.A.D.のコンサート終了後、余韻に浸る間もなく、丈と浩二はブラスバンド部の方に戻り、秀と砂田、葉山は次に控える演劇部の公演の準備にとりかかった。
 六十がらみの年配郵便局員役の秀は、いかにもそれらしい紺色の背広を着て、石浜恵美子に顔のシワや頭の白髪等のメイクをしてもらう。
 メイクの最中、恵美子の顔が至近距離に近づくので、秀は内心ドキドキしていたのだが、
「これでよし。さあ、仕上がったわよ。」
という恵美子が差し出す手鏡を見て、そんな感情は、一瞬にして吹っ飛んでしまった。
 これでは喜劇役者だ。「シャボン玉ホリデー」のような、テレビのバラエティー番組に登場する、情けないかつらをかぶった老人のようである。
 二枚目の役柄という訳ではないので、仕方がない事だが、つい先ほどまで、コンサートでリード・ギターを弾いていた身としては、なんとも情けない出で立ちであった。

 自分で鏡を見て吹出すような、老人の顔に変身した秀は、気持ちも仕草も老人になりきって、舞台に立った。
 台本のあらすじは、混血の戦争孤児である少女の悲劇を描いた、かなり重いテーマであったが、前半部に登場する秀の役は、その場をやわらげるような人物像であった。
 秀は台詞を忘れることもなく、むしろアドリブを挿入してしまったりして、劇中の会話の相手である、おばあさん役の川上三重子を、ちょっと慌てさせるほどの落ち着き様であった。

 昼過ぎに、無事演劇部の公演を終え、セットを撤去すると、秀は大急ぎでメイクを落とし、私服に着替えて、渋山ゆりと日野原ゆきえの元へ駆けつけた。
 つい今しがた、演劇部の舞台での、おじいさんメイクの印象が生々しい二人は、秀の顔を見るなり「プッ」と吹出す仕草を見せた。
「ごめんね、長い時間待たせちゃって。」
 頭を掻きながら照れくさそうに言う秀に、ゆきえが笑いながらも、
「ううん、とてもよかったわ。虹沢君の演劇見るの、小学校以来だもの。バンドの方も、素敵だったわ。」
と労った。
 横でゆりが、「ごめんなさい、気がきかなくて。私たちも花束ぐらい持ってくるんだったわ。」
と、両手を合わせる。
「いいんだよ、そんな大げさな事。」
 気取って片手を横に振ると、秀は二人の先に立ち、校内を案内して歩いた。途中、知った顔に会うたび、女の子を二人も連れている事を冷やかされた。

 一通り案内したあと、ゆりとゆきえを連れて校外に出て、喫茶店に入った。
 ゆりとはずっと交流があったので、久々に会うゆきえとの会話が中心となった。
「日野原さんて、ピアノが上手だったけど、まだ続けてるの?」
「弾いてるわよ。将来は、小学校の音楽の先生になりたいの。」
「へえ、日野原さんが先生なら、俺も、もう一度小学生になりたいな。」
 などという会話から入って、やがては、なつかしい小学校時代の話になるのだった。この日、秀がバンドと演劇で舞台に立ったので、クリスマス会のグループ・サウンズや、学芸会の時の劇の事などにも話題が及んだ。
 まだ、生まれてから16〜7年の人生なのに、こんなにも思い出がいっぱい詰まっていたのか、とゆりやゆきえと話していて、我ながら驚くほどであった。

 あれこれと、二時間ほどしゃべっただろうか、そろそろ帰ろうか、という時になって、ゆきえが突然、秀とゆりの顔を交互に見ながら、こんな事を言い出した。
「ねえ、虹沢君、ゆりから聞いたんだけど、あなたたちって、小学校の時から、全然進展してないのね。」
 突然の言葉に、秀も驚いたし、ゆりは真赤な顔でうつむいてしまった。
「ゆきえったら、何を言い出すのよ。」
「日野原さん・・・。」
 そんな二人を見て、ゆきえは苦笑いをしながら、
「虹沢君、しっかりしないと、近くにいる訳じゃないんだから、そのうちゆりを誰かに取られちゃうわよ。」
 と秀にはっぱをかけ、バッグを手に取って立ち上がった。
「さ、ゆり、帰るわよ。」
 伝票を持ってスタスタとレジに向かうゆきえに、かろうじて追いついた秀は、伝票を奪い取って、支払いを済ませた。
「ごちそうさま、また今度会いましょうね。ゆりとはなるべく、会ってあげてね。虹沢君には言わないかもしれないけど、これでゆりって、けっこう淋しがってるのよ。」
 最後になって、ゆきえの勢いに圧倒された秀とゆりは、ただ顔を見合わせて笑うだけであった。
 秀は、JR柏駅の改札まで、二人を送って行った。改札の中に入ったあと、はにかむように手を振るゆりの表情が、印象的であった。

     ***** 第三章 情熱編 終わり *****

     第4章 「飛翔編」 にご期待ください。