11.春がきて...(4)

 4月の下旬、演劇部は舞台のある音楽室を借りて、新入生歓迎の公演を行った。
 秀は、ラーメン屋の客であるサラリーマンの役を演じた。台詞がたった一つで、
「ごちそうさん、お勘定はここに置いとくよ。」
というだけの、チョイ役であった。しかし、秀が引き受けなければ、美形だが、ちょっとボーイッシュな関谷真由美が男装して演じなければならなかったと言うのだから、一応男子部員としての面目は、ほどこしたと言えよう。

 その甲斐あってか、5月の連休が明けると、4〜5人の新入生が入部してきた。しかし、男子は一人もいなかった。
 演劇部の次の公演は、秋の文化祭になる予定であるが、その時に男役が必要なら、また秀が駆り出されてしまいそうである。

 秀は演劇、丈と浩二はブラスバンドでそれぞれ多忙な毎日を送りながらも、ベンチャーズへの情熱はますます盛んで、可能な限り、平日の昼休みや日曜日にブラスバンド練習室に集まっては、音を出して楽しんでいた。
 とにかく楽しいので「練習」という感じではなかった。その場その場の気分で誰かが「次、あれをやろう」と曲目を言い、その曲を演奏していた。

 しかし、秀は気づかぬうちに、壁にぶつかっていた。
 どうも、自分が覚えた弾き方と、レコードでノーキーが弾いているフレーズが違うような気がする。いや、気のせいではない。明らかに違うのだ。
 この時、秀はまだ一音一音を丁寧に聞き取る、という事ができないでいた。なんとなく全体的な雰囲気だけで、曲を把握していたのだ。つまり、本人はコピーしているつもりでも、実際は全然コピーになっていなかった。
 基礎トレーニングのやり方もわからず、我流で覚えたでたらめなピッキングとフィンガリングのせいで、秀は伸び悩み、スランプに陥っていった。

 そんなある日、放課後の誰もいない他クラスの教室から、エレキ・ギターの音が聞こえて来た。どうも、ベンチャーズの「朝日のあたる家」のようだ。
 磁石で引っ張られるように、秀がその教室に入ってみると、葉山次郎がテープレコーダーとアンプを持ち込んで、例のグレコのレスポールを弾いていた。
 秀に「オン・ステージ’71」を借りて以来、熱狂的なジェリー・マギー・ファンになったはずの次郎であったが、なぜか'65年スタイルの「朝日のあたる家」のアドリブ部分を、繰り返し練習していたのだ。
「あれ、何弾いてるの?」
 いきなり声をかけられた二郎は、驚いて手を止めたが、相手が秀だとわかると、照れくさそうに頭に手をやった。
「まずい、見つかっちゃったなあ。」
 ノーキー・スタイルの練習をするところを秀に見られたのが、恥ずかしいらしかった。だが、次郎は後に、
「ノーキーよりジェリーの方が圧倒的にいいと思うけど、十番街の殺人と、朝日のあたる家と、キャラバンだけは、悔しいけどノーキーの方が上だと思う。」
と打ち明ける。

 だが、その事は別にして、秀はその時、次郎の弾く「朝日のあたる家」のアドリブ・フレーズを聴いて、頭の中で電球がパッと光った思いがした。
「そうか、こう弾けばいいのか。」
 次郎の弾くニュアンスの方が、秀が把握していたのより、ずっと本物に近かったのだ。

 秀はその日、すぐに家に帰り、さっそくテープ・レコーダーを前にして、朝日のあたる家のアドリブの再コピーに没頭した。
 今まで覚えていたフレーズの間違いが、なぜか手に取るようにわかった。
 これをきっかけに、秀は何曲かコピーをやり直し、完璧とは言えないまでも、それまでよりは、ずっとまともな演奏ができるようになった。
 若いうちは、ちょっとしたきっかけで、トンネルの出口が見える事もあるものなのだ。秀は密かに、葉山次郎に感謝したのであった。