11.衝撃再び(3)

 ノーキーが'72年に復帰した時に使用したテレキャスター。
実は秀は、ノーキーが使っているのを見るまで、このギターが好きではなかった。
 まず、ネックのヘッドの糸巻きが、ギブソンの多くのタイプに見られるような、左右に3個ずつセットされず、片側に6個全部並んでいる事。
 そして、ボディーの形状や、ブリッジ、テイルピースなどの部品も何かしら安っぽくて「弾きたいなあ」という欲望が、全然感じられなかったのだ。
  機能面とか、そういう事ではなくて、単に見た目の問題であるが。
 後年「ヨコハマ・ベンチャーズ」のリード・ギタリスト、ノーキー小川氏が、テレキャスター狂いの秀をからかって、
「モズライトが『ギターのロールス・ロイス』なら、テレキャスターは『ギターの軽四輪』だね。」
 と言ったが、これは言い得て妙というものだ。

 テレキャスターだけではなく、ストラトキャスター等、フェンダーのギターのシェイプは、この時点での秀の好みには合わなかった。
 かといって、ギブソンのギターも、特にレスポールは、レッド・ツェッペリンのジミー・ペイジが連想されて、気後れがした。ツェッペリンが嫌い、というのではなく、ハード・ロックというものが、「自分の住む世界とは違う」といった感覚である。

 その点、秀が使っているモズライトというのは、その形状、雰囲気が、まさにベンチャーズを演るために生まれてきたギター(実際にそうなのだが)という感じで、納得がいった。
 ただ、買った時は何も知らなかったので、ボディーの色が黒なのが残念だった。
 ベンチャーズをコピーし始めた現在は、やはり一番印象的な白いモズライトが、あこがれであった。
(「パール・ホワイト」などという難解な色の表現は、知らなかった。)

 余談ではあるが、この年の秋の文化祭で、グランド・ファンク・レイルロードのコピー・バンドが講堂で単独公演をした。秀は三田村や松谷と「どんなものか」と冷やかし半分で見に行ったのだが、このバンドのギタリストが、なんと黒いモズライトを使用していた。
 演奏そのものは、かなりの腕前で、場内もかなり盛り上がっていたのだが、モズライトでハード・ロックを演奏するその姿に、秀はかなりの違和感を覚えた。
 モズライトは、やはり「エレキ・インスト・バンド」が使ってこそ似合う物ではないか、という気がした。

 では、逆にモズライトを使わないベンチャーズというのはどうか?
 テレビで見たこの年のベンチャーズは、秀の記憶とはかけ離れた、長髪で、メンバー全員スーツでない衣装、しかも使用ギターはフェンダー、ギブソン、へフナーと、それぞれ勝手な物を使っている。
 これには初めは違和感を覚えた秀ではあったが、この後数ヶ月もしないうちに「寝ても覚めても赤いテレキャスター」という状態になろうとは、本人でさえも予想だにできなかったのである。

 テレビのワイド・ショーで「動くベンチャーズ」を見てしまった事の、秀の脳細胞への刺激はすさまじく、その日から彼の頭の中は、八割方ベンチャーズの事で埋め尽くされた。
 残りの二割は、同じクラスの中に何人かいた、ちょっと気になる女の子の事や、文通で連絡をとり合っている渋山ゆりの事などである。

 高校の同じクラスでは、岩村乃梨子という、テニス部の娘に心惹かれた。
 例によって、女の子の前では無口になってしまう秀の事、好意を持っていても、ことさら接近したりすることはなく、毎日遠くから眺めて胸をときめかせるだけであったが。
 乃梨子はショート・カットで明るく快活な、健康的という言葉を絵に描いたような女の子で、毎日必ずミニ・スカートを着用してくるところも、目に眩しかった。

 渋山ゆりは、高校進学とともに千葉県千葉市に引っ越したとの事だったが、秀の家と同じ千葉県内といっても、千葉市と柏市では、まったく方向違いの位置にあり、当時の秀の行動範囲の狭さでは、実際に会いに行ける距離ではなかった。
 この行動範囲の狭さが、秀のベンチャーズ・ファンとしてのキャリアに、大きな後悔を残す事になる。