10.衝撃再び(2)

 人生、何かにはまっていく時というのは、幾つかの偶然が重なるものだ。
 秀がエレキ・ギターを本格的に弾こうと思ったきっかけの、上級生の「サウンド・オブ・サイレンス」を校舎の下で耳にしたのも偶然なら、秀にギター・アンプを作ってくれた志垣がエンジニア畑で、彼の家の物置にそのパーツとなる古いラジオが眠っていたというのも、偶然といえば偶然だ。
 重なる偶然に、さらに偶然が上積みされ、秀の人生は「エレキ、ベンチャーズ」へと直進して行くことになる。

 それは1972年7月のむし暑い日だった。午前授業で早めに帰宅した秀は、夜勤明けの父とともに昼食をとりながら、テレビのワイドショーを何気なく見ていた。
 幾つかのコーナーが終わり、コマーシャルが明けると、それまでぼんやりと見ていた秀が、司会者の言葉にグッと身を乗り出した。
「それでは、ここでゲストに登場していただきましょう。今年も来日しております、ザ・ベンチャーズの皆さんです!」
 なんと、小学校4〜5年生の頃の「勝ち抜きエレキ合戦」や「ヤング720」以来、久々に見る「動くベンチャーズ」である。
 画面に登場したベンチャーズは、昔のようなスーツ姿ではなく、思い思いの衣装で、ギターもおそろいのモズライトではなかった。
 「明星の歌本」に書いてあったことは、本当だった。ノーキー・エドワーズがいる。全員長髪で、すっかり「ロック・バンド」という雰囲気だ。

 テレビの中のベンチャーズが演奏を始めた。「パイプライン」だ。
 すっかりイメージの違った、ボブ・ボーグル、ドン・ウイルソン、メル・テイラーが、元気な姿を見せている。
 そしてリード・ギターのノーキー・エドワーズは、真っ赤なギターを余裕の笑顔で操り、いい音を出している。
「いやあ、このリード・ギターの人は、いつも顔がビシッとしていていいねえ。」
 晩酌がわりにウイスキーをちびり、ちびりとやっていた父が、4〜5年前と全く同じ言葉で、ノーキーを誉めた。
 秀は「そうだとも!」と思った。ノーキーの笑顔の中の、眉間のしわに、貫禄とプレイに対する真剣さがにじみ出ているのだ。

 2〜3曲の演奏と、簡単なインタビューで、ベンチャーズの出番は終ったが、秀はすっかり興奮してしまった。
 ザ・ベンチャーズ。
 ノーキー・エドワーズ。
 二つの固有名詞が、秀の頭の中で交錯していた。

 それにしても、ノーキーのあのギターは何だ。あの形であんな色のギターは、楽器店はおろか、カタログでも見たことがない。

     

 当時、市販のエレキ・ギターは、ボディーの色のバリエーションが少なく、楽器店のショー・ケースのガラスの向こうに大事そうに飾ってある、フェンダーのテレキャスターは、ほぼ100パーセント、アイボリーの色であった。
 ノーキーが渋い笑顔で弾いていたテレキャスターの、鮮やかな赤が、秀の脳裏に焼きついて離れなかった。

 さて、ベンチャーズ。後で知ったところによれば、この1972年は日本全国で96回のコンサートを行ったそうだが、テレビ番組にも積極的に出演し、そのうちのいくつかは秀もテープ・レコーダーをセットして、しっかりとチェックした。
 だいたいは、ベンチャーズの演奏自体、お決まりの「パイプライン」「ダイアモンド・ヘッド」など2、3曲だけで、分かりきった事しか聞かないインタビューや、彼らが作曲を手がけた歌手のバックとつとめておしまい、というパターンだったが、「雨の御堂筋」や「あの人はいま札幌」の間奏では、ノーキーがアップで映し出され、秀の全身に血がたぎった。