第5章 白雲編

         28.赤い記念碑(3)

 12月の上旬、2学期の期末テストがあり、秀は散々な成績で日程を終えた。学期の半分近くを入院生活で過ごしたので当然ともいえたが、秀の場合、元々の成績がひどかったので、入院がどれほど成績に影響していたのかは、はなはだ疑問である。
 むしろ、受験科目として病室でじっくりと取り組んだ世界史だけは、90点以上の好成績を取り、世界史担当である担任の小久保先生を、
「虹沢おまえ、入院中何してたんだ?」
と驚かせたぐらいだ。
 もはや秀にとっては受験科目の世界史、国語、英語以外の科目はどうでもいい存在だった。赤点のボーダー・ラインさえクリアできればいいのだ。

 さて、秀の思いつきで強行する事になったT.A.Dの記念撮影会であるが、前日の土曜日から準備を始めた。
 会場はいつも練習に使わせてもらっている、ブラスバンド練習室だ。ここに学校の備品のひな壇や机を並べ、今年のベンチャーズのコンサートのような、各メンバーが段違いになったステージをセットするのだ。
 折りよくブラスバンドは練習休止中だったので、じっくりとセットを仕込むことができる。
 ベンチャーズのステージのようなセットといっても、あの鉄骨まで真似するのは無理なので、高さが異なるメンバー個々のブースを作るだけで満足しなければいけなかった。
 放課後、昼食をとってから始めたセッティングは夕方までかかった。
 客席方向から見て、左端に机を20個あまり正方形に並べた丈のブース。その右がひな壇一段分の高さの浩二のブース。さらに右は、長いひな壇の上に短いひな壇を重ねた秀のブース。一番右端が、やはり机を正方形に並べた次郎のブースとなっていた。
 ’74年風ステージ・セットとはいいながら、楽器パートの並びが左からドラム、リズム・ギター、リード・ギター、ベースと、'60年代のスタイルになってしまった。これは、中央にドラム・セットを並べるには、ひな壇の奥行きが狭すぎたため、配置を変えざるを得なかったのである。
 仕上げに組み立てた机やひな壇の表面を、黒い暗幕で丁寧に覆う。
 ステージ後方には、会議室用の長テーブルをラックがわりに置き、その上にアンプをセットする。
 そして、左端のブースにドラム・セットを並べ、去年の文化祭の時にベニヤ板で作ったT.A.D.のロゴを飾ると、それはもう、立派なコンサートのステージであった。
 完成した段違いのステージ・セットを眺めて四人は満足そうにうなずきあった。
「いいじゃないか。最高の雰囲気だよ。」
腕組みしながら次郎。
「アンプがちょっと淋しいから、明日はエーストーンの20Wをもう一台ハリボテで並べようぜ。」
と、いつも複数のアンプを並べたがる浩二。
「これでドラムが真ん中で、右端にキーボードが来れば完璧だったんだけどなあ。沖良久美子に声かけてみればよかったな。」
 ちょっと残念がる秀の肩を、丈が軽く叩く。
「贅沢言ってもしょうがないよ。これで十分じゃないか。」
 その日四人は、実際にステージに上がって、2〜3曲試奏すると、翌日の記念撮影に備えて早めに帰った。

             


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