第5章 白雲編

         25.凍るテレキャスター(4)

 翌日の日曜日の朝一番に、秀は7階の個室に移った。手術後、ある程度の回復をするまで、ここで過ごす事になる。
 午前中の面会時間に、早々と渋山ゆりがお見舞いに来てくれた。
「急に部屋が変わったっていうから、びっくりしちゃったわ。8階の同じ部屋のおじさんが、虹沢君ならさっき7階に移ったよって教えてくれたの。」
「ごめんごめん、俺も今朝ここに来るまで知らされてなかったんだよ。」
 ゆりは秀の枕もとに置かれた花瓶に飾られた花を見て、
「あら、ちゃんと一緒に持って来てくれたのね。」
と笑った。
「うん。これを忘れたら、昨日のお姉ちゃんに嫌われちゃうよって、田中さんに言われちゃった。」
「まあ。」
 ちょっと顔を赤くしたゆりは、
「秀ちゃんて、入院中はカセットばっかり聴いてるって、手紙に書いてあったから・・・。」
と言いながら、バッグから紙袋を取り出した。
「ベンチャーズのレコードは、秀ちゃんほとんど持っているんでしょ? だから、これだったらいいかなって、買って来たの。」
「え、ベンチャーズだってまだ持ってないレコードの方が多いけど。開けてもいい?」
 ゆりがうなずくのを見て紙袋を開けると、それは、加山雄三のベスト盤のミュージック・テープだった。
「うわあ、若大将だね。ありがとう。」
 ジャケットの裏を見ると、小学生の頃、テレビやラジオで流れていた、耳なじみのあるヒット曲が目白押しだった。
「うちには加山さんのレコードは、君といつまでもしかなかったからね。これはいいや。」
「よかったわ、気に入ってもらえて。昨日の帰りに、千葉のレコード屋さんに寄って、色々見て選んだの。」
 ゆりは昼食の時間になるまで秀の病室にいた。帰り際、ちょっと真剣な表情で、
「明日の手術、がんばってね。」
と顔を近づけて言った。秀は軽くうなずいて、
「うん、ありがとう。」
と答えた。
 夏休み、プールに行った帰り道での情景が、チラッと頭をかすめたが、そのままゆりは微笑みながら、小さく手を振って部屋を出て行った。

 午後の面会時間になって、父と母、そして兄と婚約者の良枝が顔を出した。
 明日の手術以降、秀がある程度回復して大部屋に戻るまで、母はこの病室に寝泊りする事になっている。
 家族と入れ違いに、夕方には丈、浩二、次郎も来て、秀を激励してくれた。
 三人は早稲田ゼミナールの模擬試験を受けた帰りだという。
「全然できなかった。早稲田どころの騒ぎじゃないぞ。相当ランクを落とさなきゃだめだ。」
と丈。浩二は、
「まあ、あんなもんだろうよ。入れるところに入るだけだ。」
と相変わらずマイペースだ。
「今日の出来だと、国立一次はギリギリかなあ。」
次郎だけが、コメントの次元が違う。
 秀は一人、受験とは縁のない、まったく別の世界にいた。ベンチャーズの日比谷野外音楽堂公演の日、ベッドから三人を見送った時は、心底うらやましい気持ちでいっぱいだったが、さすがに今日は、
「いいよな、お前ら早稲田ゼミナールの模擬試験受けてきて。」
などとは毛頭思わなかった。
「こっちは受験なんて、よその国の出来事みたいな状態だよ。」
苦笑いする秀に次郎が、
「まあ、これでも見て元気を出せ。三人で金を出し合って買って来たんだ。」
と、石橋楽器店の紙袋を差し出した。
「へえ、ありがとう。なんだろう。空けるよ。」
 レコード・ジャケットとは違う感触の物が入った紙袋を開けてみると、なんとそれは、ベンチャーズの写真入り楽譜集の「ゴールデン・ヒット・フォリオ」だった。

       

 秀はその存在を知っていながら、小遣いに苦労していたのと、掲載されている曲目が、T.A.D.ではレパートリーに取り入れる事がないであろう、ベンチャーズ歌謡のオリジナル・バージョンばかりだったので、買うのをためらってきた。
 ただ、カラー・グラビアに収められている'71年のステージ写真には目を奪われるものがあり、それだけのためでも、いつかは手に入れようと思っていた。
 第1集と第2集が刊行されていたが、三人はそれを両方とも買って来てくれたのだ。
「おお、これはすごい。いつかは買おうと思ってたんだけど、なかなか手が出なかったんだよ。」
 いっぺんに顔の表情を崩した秀が、じっくりとグラビア部分のページをめくるのを、三人も横から覗き込む。
「いやあ、やっぱりジェリーの『緑銀』のレスポールはカッコいいな!」
 ジェリー・フリークの次郎が、照明の具合で「グリーン・メタリック」のレスポールを弾いているように見えるショットを見て興奮して言った。
「ダンはやっぱりSGが似合うよ。来年はまたSG弾いてくれないかな。」
 浩二はドン・ウィルソンのSG姿にご執心だ。
「'71年のメルは最高に乗ってるよ。いつ聴いてもすごいと思うよ。」
 ジョー・バリル加入後は、その魅力にすっかりとりこにされてしまった丈だが、メル・テイラーの素晴らしさも見逃してはいない。
「また四人でコンサートやりたいよなあ。」
 ベッドのリクライニングを立てて、上半身を起こした秀がつぶやくように言った。
「受験が終わったら、またできるよ。その前に、虹は早く元気にならないと。」
次郎の言葉に、秀は元気なくうなずいた。

 翌日の午後、秀は個室の病室から集中治療室へ運ばれた。手術室の入り口まで、父と母がつきそった。
 手術台に仰向けに寝かされると、まるでTVや映画の手術シーンが現実になったような、部屋の情景が視界に入ってきた。
 白い帽子やマスクをした医師や看護婦たち。複数の円形が組み合わさった手術室独特の照明器具。
 やがて担当の医師が秀の耳元で、
「これから麻酔をかけるからね。最初ちょっと痛いけど、すぐ楽になるからね。」
と話しかけた。
 秀が軽くうなずくと、背中に「ズキッ」という鈍い痛みが走った。脊椎に麻酔の針を刺したのだろう。
「ゆっくり数を数えてみて下さい。いーち、にー、さん・・・。」
 医師に合わせて、つぶやくように数えていた秀であったが、十も数え終わらないうちに、まったく意識がなくなっていた。


             


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