第5章 白雲編

         24.眠るテレキャスター(3)

 半月前とまったく同じ、ベンチャーズのテープをイヤホーンで聴いたり、受験科目の世界史や英語の勉強をするか、あるいは点滴の成分に眠気を誘われて昼寝をしたりする、退屈な毎日が始まった。
 しかし、週明けには生まれて初めての手術が控えている。全身麻酔の本格的なものである。どんな状況になるのか、想像もつかない。
 医師からは、
「手術としては、そんなにむずかしいものではないから、心配する事はないよ。」
などと言われてはいたが、秀は高校受験した時以上の、強い不安を感じていた。

 手術二日前の土曜日の午後であった。
 一人の高校生らしき女の子が、秀の病室の入り口で立ち止まっていた。
 渋山ゆりであった。
 病室の番号は手紙で知らせてあったが、知らない病院に初めてお見舞いに来る時は、誰でも少なからず緊張するものだ。
 ゆりは病室の番号と、入り口の入院者名の札を交互に見ながら、
「この部屋でいいんだわ。でも、どのベッドかしら?」
といった表情で、立ちすくんだようになって中を恐る恐る覗き込んでいる。
 すぐに、入り口左側のベッドに横になっている秀と目が合った。
「ゆりちゃん。」
 驚く秀に、ゆりはお見舞いの花束を片手に、複雑な表情で微笑みかけて、
「だいじょうぶ?」
と言いながらベッドの横に入ってきた。ゆりの姿と花束がセットになって、病室の中が急に明るくなったようだ。
「ありがとう。でも、こんな情けないかっこで恥ずかしいや。」
「何言ってるのよ。こないだ退院したばっかりって聞いたから、びっくりしちゃった。」
 そう言いながらゆりは、秀の枕もとやベッド横のワゴンのあたりを見回し、
「あら、花瓶がないのにお花なんかもってきちゃった。」
と困った顔をした。
 すると、向かい側のベッドの北村さんというおじさんが、
「花瓶だったら、看護婦さんに言えば貸してくれるよ。」
 と声をかけてくれた。
 ゆりは振り向いて、
「ありがとうございます。」
と会釈すると、
「じゃあ、花瓶借りてくるわね。」
と言って、病室を出て行った。
 すかさず別のベッドの田中さんというおじさんが、
「虹沢君みたいに若いと、花束なんか持って来てくれる人がいていいねえ。」
と秀をからかう。秀は赤面して頭を掻きながら、
「いやあ・・・。」
と照れ笑いした。
 程なくゆりが白い器を持って戻って来た。
「正式には花瓶じゃないけど、かわりに使ってくださいって。」
 そう言ってゆりは、水の満たされた器に、自分が持ってきた花束を飾り始めた。
「悪いね。そのまま置いといてくれれば、あとでおふくろが来た時にやってもらうのに。」
「いいのよ。でも私、活け花なんかやったことないから、うまく飾れるかしら。」
 と言いながら、なかなか手際よく、それなりに花束の体裁を整えるゆりの横顔に、秀はぼうっとして見とれていた。
 時々首をかしげながら、花の位置を調整し終えたゆりは、ふと秀の視線に気づき、
「何を見ているの?」
と聞く。
「いいや、別に。ああ、今日はわざわざ来てもらっちゃって、ありがとう。」
あわてて返事をする秀に、ゆりは半分怒ったような顔をする。
「ほんとに前の入院の時は、退院する間際まで連絡くれないんだもの。どうなの、具合は。」
「見ての通りだけど、ポンプで空気を吸い出しているから、息は全然苦しくないんだ。あさっての月曜日に手術する事になったよ。」
「まあ、手術。それは大変だわ。」
 ゆりには手紙で、病気の内容を詳しく書き送ってあったので、改めての細かい説明は必要なかった。
 ゆりはその後、長すぎず短すぎない、絶妙のタイミングで、
「じゃあ、明日も秀ちゃんの顔見に来るわね。手術の後は、しばらく面会できないでしょ。」
と言い残して帰った。
 ゆりが部屋を出て行った後、田中さんに、
「虹沢君、鼻の下が伸びてるよ。」
とからかわれて、頭をポリポリと掻く秀であった。


             


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