第5章 白雲編

         21.眠るテレキャスター(8)

 秀の病室からは、国電の総武線や中央線の線路とお堀を隔てた京葉道路沿いに、集英社のビルの大きな電光時計がよく見える。
 うっかり時計が進んだり遅れたりすると、逓信病院のベテラン入院患者のおじさんあたりが「困るじゃないか、君!」などと苦情の電話を入れる、などというエピソードもあるくらいだから、時刻表示は概ね正確のようだ。
 秀は丈や浩二、次郎、大林さん、神島さんが日比谷に向かった後、この電光時計を眺めては、野外音楽堂のコンサートに思いを馳せていた。
 松戸で見た時と、曲目にそれほど変化はないだろうから、
「そろそろ始まったな。オルガンのプロローグの後、ワイルドで行こうだ。」
「今、だいたい涙のギターをやってる頃だな。」
「今頃はリーシャが歌ってるんだろうな。」
などと、開演時刻からの経過時間を電光時計で計算しながら、コンサートの様子を想像した。
 そして、窓の外がすっかり暗くなった6時過ぎ、
「アンコールももう終わったな・・・。」
と溜息をついた。
 この期に及んで、まだベンチャーズの日比谷野外音楽堂公演に行けなかった事への、未練を捨てきれないのであった。
 だが、窓の向こうで、夜になっていっそう鮮やかに光る集英社の電光時計のオレンジ色の数字が、極めて事務的に、現実を秀に向かって語りかけていた。

 

 翌日の午後、というよりは夕方であった。4時ちょっと過ぎ、つまり、高校の授業が終わって1時間ぐらいの時刻に、秀の病室に丈と浩二と次郎が揃って顔を見せた。
 三人は、前日の日比谷野音の「報告」に来たのだ。
「どうだ、虹。」
「昨日はお前がいなくて淋しかったぞ。」
「やっぱり四人揃って行きたかったよ。」
 思い思いに声をかけて、三人はベッド横の適当なスペースに落ち着いた。
「どうだった、ベンチャーズは。」
 秀が聞くと、三人は口を揃えて「凄かった」「素晴らしかった」と、日比谷野音でのベンチャーズの演奏を振り返った。
「もう、松戸の演奏なんて、目じゃなかったよ。」
「そうそう、やっぱり東京公演だと力の入り方が違うね。」
「メンバー全員乗ってたけど、特にノーキーとジョーが凄かったよ。」
 秀も自分が行けなかった悔しさは横に置いておいて、少しでも日比谷野音公演のイメージを具体的に想像できるように、三人の話を一言も聞き漏らすまいと、聞き耳をたてていた。

 いかにベンチャーズの1974年日比谷野音公演の演奏が凄かったかを物語るエピソードとして、三人と一緒に見ていた、熱狂的なジェリー・マギー・フリークの大林俊雄さんの、コンサート中の発言がある。
 ワイプ・アウトでノーキーが最初のアドリブを弾き終えた瞬間、興奮した大林さんは思わず、
「やっぱり(ワイプ・アウトは)ノーキーだよ!」
と叫んだというのだ。
 このくだりを、後に大林さん本人に指摘してからかうと、大林さんは、
「あれは一生の不覚だった。」
と苦笑いしながらも、
「事実、あの日のノーキーは普段にも増して、本当に素晴らしかった。」
と認めている。
 なお、大林さんと一緒に来ていた友達の神島さんは、当日券を買って入場したが、座席番号があまりにも後ろの方だったので、野音の座席が一人分ずつ区切られていないベンチ式だったのを利用して、4人分のスペースに、ちゃっかり5人がけで座り、コンサートの興奮を分かち合ったという事である。

 その日、丈と浩二と次郎は、その他にコンサートについて、
「ノーキーとジョーだけがすごかったんじゃなくて、ボブやドンやデイヴも相当乗っていたよ。5人の息がピッタリ合ってる感じだったもん。」
「デイヴは松戸の時より、かなりシンセサイザーを使いこなしていて、より効果的に使っていたね。」
「ドンの歌が、1部の方はパイド・パイパーだけじゃなくて、知らない曲(注)とメドレーになっていたよ。」
「途中けっこう雨が強くなって、リーシャの白いドレスの裾が、かなり汚れちゃった。」
 などと、実に事細かに語って聞かせてくれた。秀は頭の中でその場面を具体的に想像しながら、夢中になって三人の語りにうなずき続けるのであった。

注: 1974年9月16日の、第1部のドンのヴォーカル・ナンバーは、「ムーディー・リバー〜パイド・パイパー」のメドレーであった。

             


トップ・ページに戻る