第5章 白雲編

         18.眠るテレキャスター(5)

 秀が入院した翌日の午後、中尾 丈がさっそくお見舞いに飛んできた。
 ベッドの横にいた秀の母が、
「あら、中尾君、遠いのに悪いわね。受験生なんだから、うちのバカ息子のことなんかほっといていいのよ。」
と挨拶する。丈は、
「いえ、そんな。」
頭をかいて苦笑いしながらお辞儀をすると、秀の方に向き直った。
「なんだよ、心臓じゃなくて肺が悪かったんだってな。」
「そうなんだ。しかし、まいったよ。」
 秀の左胸には管が通され、それがベッドの脇に置かれたポンプに繋がれていて、秀が呼吸するたびに、ポンプの中の液体がポコポコと泡を立てている。
 真空ポンプのような原理で、胸壁と肺の間に溜まった空気を吸い出すものだが、これによってしぼんだ肺が膨らんでくるのだ。

 丈はお見舞いがわりにベンチャーズのレコードを録音したカセット・テープを数本持って来てくれた。
「カセット・レコーダーがあるかどうかわからないで持ってきたけど、さすがにちゃんと用意してあるね。」
 丈がベッド脇のワゴンの上に置かれたSONYの黒いカセット・レコーダーを見てニヤリとした。
「まったくこの子ったら、教科書や参考書は持って来いって言わないくせに、テープレコダーだけは忘れずに持って来てくれ、って言うのよ。」
 すかさず母が横からチャチを入れる。
「だけどテープの方は、おふくろに頼んだって全然わからないから困ってたんだ。これはうれしいね、ありがとう。」
 秀は丈が持って来てくれた、ベンチャーズのライヴ盤を中心にセレクトされた数本のカセットのラベルをながめながら、感謝の気持ちをこめて微笑んだ。
「他にも聴きたいものがあれば、いつでも持って来てやるよ。それより、日比谷に行けなくなっちゃったなあ。」
 その言葉を聞いて、秀の顔が情けない表情になった。
 空気吸出しポンプによって肺が膨らみ、運がよければそのまま完治する人もいるということなのだが、肺が完全に膨らんでから、何日か様子を見ないと、手術を要するかどうかがわからないらしい。たとえ手術しなくて済んだとしても、日程的に退院はベンチャーズの日比谷野外音楽堂公演には間に合いそうもない。
「そうなんだよ。16日までには退院できそうにないもんなあ。」
「チケットはどうする?」
「そうだなあ。誰かかわりに行く人いないかなあ。」
「俺の知り合いには、ベンチャーズなんて興味のある人いないし。」
 その時、秀の頭の中でパッと電球が灯った。
「そうだ、大林さんに連絡してみよう。こないだの手紙では、まだチケット買ってないけど、その日の気分次第では、当日券で見に行くかもしれないって書いてあったんだ。」
 秀はダイナミックス・ファン・クラブの大林俊雄さんと、前年の11月以来、わりと頻繁に手紙のやりとりをしていた。
 一番最近届いた手紙では、ジェリー・ファンの立場上、本家ベンチャーズのコンサートには行かないつもりだと書かれていたが、やはりノーキーのギター・ワークにも興味はあるとも書いてあり、大林さんの中の「迷い」を現していた。
「そうか、じゃあ大林さんを誘ってみる事にしよう。連絡はどうやってとる?」
「まだ日があるから、手紙で間に合うと思う。大林さん、多分行くって言うよ。」
 インターネットなどない時代の、のどかなコミュニケーション手段である。
 電話という手もあったが、まだ大林さんと会った事も電話で話した事もなかったので、人見知りな秀は、直接声を聞くのが怖かったのだ。

 その日のうちに大林さんに手紙を書いた秀は、母に頼んで速達で出してもらった。
 日を置かずに大林さんから返事が届き、秀へのお見舞いの言葉に添えて、
「ぜひチケットを譲って下さい。」
との旨が書かれてあった。
 かくして秀は、ベンチャーズの1974年日比谷野外音楽堂公演を、完全に断念する事になった。
 後にそのコンサートの話を色々な人から聞いた時、秀は一生の痛恨の極みを味わう事になるのだが、空気吸出しポンプや点滴の器具と体を、管で繋がれてベッドに横たわっている状態では、如何とも仕方がなかった。

             


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