第5章 白雲編

         17.眠るテレキャスター(4)

 秀は病院でもらった薬を、自らの命の泉のような気持ちで飲みながら、毎日登校した。
 しかし薬を飲んでも、息苦しさや、心臓の動悸、時折襲ってくる胃の痛みは、まったく解消されなかった。
 通学の際、自転車を使う事がかなわなくなったので、バス通学に切り替えたが、100メートルも歩くと息切れがして、立ち止まっては休む有様である。
 来る日も来る日もこんな状態の秀の横にいて、丈はかける言葉すら浮かばない様子だった。この1年半、ほとんど兄弟のように過ごしてきた親友にとっては、ある意味、本人よりつらい心境だったに違いない。

 そんな状態で1週間ほど過ぎた日の夜であった。
 仕事から帰った父が、2階の自室にいた秀を、1階の居間に呼んだ。
「どうだ、病院の薬は効いているか?」
 普段なら帰宅するなり、ウィスキーか焼酎を並々と注いだグラスを手にしているはずの父が、何も飲まずに秀の顔を心配そうに覗き込む。
「うーん、効いてるんだか効いていないんだかわからないけど、息の苦しいのが全然収まらないんだよ。」
 つらそうに答える秀の返事を聞いて、父は険しい顔つきで言った。
「なんだ、それじゃ薬が効いてないんじゃないか。念のために、もっと大きな病院で診てもらった方がよさそうだな。明日は学校を休め。逓信病院で診てもらう事にしよう。」

 という訳で、秀は翌日父とともに飯田橋の逓信病院に行き、改めて診察を受けた。
 心電図検査や、レントゲン撮影の結果、心臓には何の異常もない事がわかった。
 秀の正しい病名は「自然気胸」というものであった。これは、何らかの原因で肺の一部が破れ、そこから漏れた空気が胸部壁内に溜まるという病気である。
 肺から漏れた空気が心臓や胃を圧迫し、激しい動悸や胃の痛みを引き起こす。肺が破れているのだから、当然呼吸も苦しくなる、という訳だ。
 これは、聴診器と問診だけで「狭心症」と判断した、秀の自宅近くの病院の医師の、明らかな診断ミスであった。
 逓信病院呼吸器科の医師の話では、奇病でも難病でもないが、放っておけば、左右両方の肺が同時に破れた場合には、呼吸困難に陥る危険性もあるというから、考え様によっては、ずいぶん危ない日々を秀は送っていた訳である。
「胸の内側に溜まった空気をポンプで吸い出せば、しぼんだ肺は膨らんで元に戻ります。そのまま完治してしまう場合も多いですが、再発するようなら、手術をしなければなりません。いずれにしても、入院してもらわなければなりませんね。」
 診察した医師の言葉は、秀が受験を控えていようといまいと、否も応もなかった。
 その日の午後には、秀は病院8階の、6人部屋の病室のベッドに身を横たえていたのだった。
 ベッドで呆然と天井を見上げる秀の頭の中で、ベンチャーズ日比谷野外音楽堂公演のチケットが、舞っては落ち、舞い上がってはまた落ちるのを繰り返していた。

             


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