第5章 白雲編

         14.眠るテレキャスター(1)

 8月上旬、ジェリー・マギーがクリス・クリストファーソンとリタ・クーリッジのバック・メンバーとして来日した。
 ジェリーがこのツアーに同行するという情報は、秀も事前に仕入れていたが、ジェリー一人だけを目当てにコンサートに足を運ぶだけの情熱はなかった。やはり、秀の中では「ベンチャーズの一員としてのジェリー・マギー」に憧れていたのであり、ジェリー個人の音楽活動にまでは興味を持てなかったのだ。
 まさかクリストファーソン、クーリッジのステージでジェリーがベンチャーズ・ナンバーを演奏するはずもない。家で人から借りたレコードを聴くならともかく、高いチケットを買ってまでジェリーの姿を見に行く余裕は、小使いの少ない高校生にはなかった。
 それでなくても、9月のベンチャーズ日比谷野音のチケット代や、渋山ゆりとのデート代などで、母親から小使いの前借りをしているぐらいなのだ。

 1974年8月9日 クリス・クリストファーソン&リタ・クーリッジ東京公演でのジェリー (画像提供:ベンチャーミックスさん)

 T.A.D.のメンバーの中では、熱狂的なジェリー・フリークの葉山次郎だけが、8月9日の東京公演に顔を出した。
 コンサートの翌日が、ちょうど夏休み中の登校日だったので、秀は昼食を丈や浩二とともに「ボンベイ」で辛いカレーを食べながら、次郎に様子を聞いた。
「どうだった、コンサート。」
「ああ、まあまあよかったけど、知らない曲ばっかりでまいったよ。ちょっとはクリストファーソンやリタのレコードを聴いておくんだった。」
「ジェリーはどうだったの。」
「いやあ、ジェリーの人気はすごかったよ。客席のあっちこっちから声援が飛んでたもん。多分、クリストファーソンより、ジェリーの方が人気があったんじゃないかな。」
「ベンチャーズの曲なんてやらなかったよね。」
「さすがにやらなかったなあ。でも、メンバー紹介のジェリーの時に、キーボードの人がウォーク・ドント・ランをちょこっと弾いていたよ。」
「へえ。」
「大林さんとか、ダイナミックス・ファン・クラブの人も大勢来ていて、一緒に楽屋にくっついて行ったんだけど。」
「え、それはすごいね。ジェリーとは話ができたの。」
「うん、ちょっとだけね。来年もまた来れますか、って英語で聞いたんだよ。」
「さすがハカセだね。それで?」
「ジェリーは両手を広げて”I hope so.”って答えたんだけど、これってすごく悲観的な表現なんだよね。」
「へえ、そうなんだ。」
「来れればいいけど、どうかな、って感じだよ。」
「ダイナミックスはどうなっちゃってるの。」
「東亜アトラクションは倒産しちゃうし、ライヴ・レコードの発売も中止になっちゃったし、ファン・クラブの人の話では、全然活動してなくて、解散同様みたいだね。ファン・クラブもいつまで続くかわからないって。」
「そうなのか。」

 そんなジェリー・マギーの最新情報を仕入れた秀ではあったが、頭の中はノーキーと赤いテレキャスターの事でいっぱいであった。
 松戸公演でのノーキーは、所々派手なミスこそしたが、「涙のギター」や「ワイプ・アウト」など、ここぞという場面でのプレイは本当にすごかった。
 まるで弦を押さえていないかのように、左手の指がフレット・ボードの上を縦横無尽かつ滑らかに動き回っていて、それは見事なものだった。
 9月16日に日比谷野外音楽堂で、再びその雄姿を見られる事が、非常に楽しみである。
 秀は、間もなく始まる駿台夏期講習の予習の合間に、グレコの赤いテレキャスターを取り出して、松戸でのノーキーのプレイを思い出しながら、しばし爪弾いてしまうのであった。

             


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