38.地平線の彼方に(5)

 1974年6月15日。
 この日は土曜日なので、午前中授業であったが、秀は朝から気もそぞろで、授業の内容など、まったく頭に入らない。
 教室内での席を決める時、ちゃっかり隣同士になった丈も、まったく同様であった。
 二人は授業中に先生の目を盗んでは今日のコンサートについての話を、紙切れにメモしては、手渡ししてやり取りしていた。

 秀たちの高校では、公式な行事か、それに準ずる行事と認められたものに関しては、その行事への参加、あるいは準備のために授業を休む事が許されていた。
 これを「公欠」という。もちろん出席扱いとなる。
 例えば、野球部が夏の甲子園大会への予選に出たり、その応援にブラスバンドが出かけたりするのは、立派な公欠である。
 もちろん公欠は、きちんと申請して学校側に認めてもらわなければ、もらう事ができない。
 秀も丈も浩二も次郎も、放課後なるべく早く、コンサートを始めたかった。でないと、観客になるべき他の生徒が、さっさと帰ってしまったり、クラブ活動に行ってしまったりするからである。
 自己満足を満たすための、ただの高校生バンドのコンサートとはいえ、客席が多少は埋っていなければ、あまりにもやり甲斐がない。文化祭の時とは違って、通りすがりの人だけで会場を満員にする事はむずかしい。
 そのため、最終の四時限目だけでもなんとか公欠にできないかと、四人で算段した末に思いついたのが「自由研究の発表会」という名目であった。
 秀たちの高校のカリキュラムでは、毎週木曜日の6時限目が「自由研究」といって、生徒各自が、自由に自分が興味のあるテーマについて、研究する時間に充てられていた。テーマに何を選ぶのかはまったく自由で、スポーツでも音楽でも手芸でも、何でもありだった。
 T.A.D.の四人とも自由研究のテーマを「ベンチャーズのサウンドと歴史」などという、もっともらしい物にしていたが、その実態は、授業時間中に堂々とバンドの練習をする事である。
 それでも、正式に学校から認められたものであり、立派な授業の一環である。四人はそこに目をつけたのだ。
「別に授業さぼって、どこかへ遊びに行く訳じゃないしな。」
と浩二。
「記念のコンサートの準備だから、1時限ぐらい休むのも、仕方ないだろうな。」
 受験勉強に一番真剣な次郎も、納得済みだ。
 四人は3日前に6月15日の4時限目を、「自由研究の発表会の為の準備」という名目で公欠の申請を出して、まんまと許可を受けた。
 この時間、音楽の授業はなく、音楽室が空いているので、心置きなく準備ができる。

 秀や丈の感覚では、朝から気の遠くなるような時間を経て、3時限目が終わった。
「よし、さっさと行こうぜ!」
 二人は廊下を飛ぶように走って、旧校舎を利用した部室棟へ向かった。
 生徒会から借りた暗幕をはじめ、コンサートに必要な備品やドラム・セット以外のアンプや機材は、すべて前日までに、演劇部室に置かせてもらっていた。
 秀と丈が少しずつ備品を運び出そうとしていると、ほどなく浩二と次郎も走ってやってきた。
 四人は手分けして、部室と音楽室を3往復ほどして、備品と機材を運んだ。
 息をつく暇もなく、音楽室の窓という窓に暗幕を張る。すべての窓が厚く黒いカーテンで覆われると、天気のよい外の光がほとんど遮断され、音楽室内の雰囲気が、グッと盛り上がる。
 そうこうしているうちに、4時限目の終わりを告げるチャイムが鳴った。コンサート開始時間は、午後1時を予定している。
「あと1時間しかない。急ごうぜ。」
 浩二が壁の時計を見て言った。


             


トップ・ページに戻る