37.地平線の彼方に(4)

 四人とも当日に向けて、少しづつコンサートの準備はしていたが、一週間前になると、いよいよ本格的な作業に入った。
 まず、暗幕の手配だ。音楽室のカーテンは、薄いクリーム色で、閉めきっても薄暗くさえならなかった。
 やはり、明るい中での演奏では気分が出ないので、生徒会に申請して、備品の暗幕を借りる事にした。
 照明は、演劇部の後輩達に頼んである。
 次に、コンサート告知のポスター作りだ。文房具屋でA3大の画用紙を買ってきて、秀がデザインと下書きをし、四人で手分けして、マジックで仕上げる。
「狂熱のベンチャーズ・サウンド! T.A.D.コンサート」
という臭い見出しのポスターが10枚ほど出来上がった。これを生徒会に持って行き、貼り出し許可済みのハンコを押してもらう。当日4日前から、校内の適当な場所に貼ることが許された。

 さらに、記念すべきコンサートなので、いい音質で録音して残しておきたい。
 ここは、録音マニアの宮田君の出番だ。
 文化祭の時と同様、宮田君は客席最前列に陣取り、ライヴ・レコーディングを担当してくれる事になった。
「バンドの生演奏を録音する機会なんて、めったにないからね。僕も楽しみにしているんだ。」
と、目を輝かせている。
 彼の所有するステレオ・カセット・デッキ「デンスケ」は、この時代、何といっても貴重な存在であった。
 録音に必要なミキサー、マイクやスタンド類は、2月にスタジオ盤テープを作った時に、丈や浩二のブラスバンドの先輩である小田さんに借りっぱなしになっているのを、ちゃっかり使わせてもらう。

 そして、去年の文化祭では、ステージ進行に関する準備が後手後手にまわってしまい、「アンコール」の前に苦い思いをしたのであったが、今回は原田裕介の登場により、その問題は解決していた。
 原田がちょっと変わり者だったため、彼の司会者起用には、秀以外のメンバーは最初は難色を示した。だが、彼の「ベンチャーズ司会者」に対する熱意を見て、最終的には全員一致で「5人目のT.A.D.」が決まったのであった。

 肝心な演奏に関しては、当日一週間前の日曜日に、ブラスバンド部室で綿密なリハーサルを行なった。
 本番とまったく同じ進行で、2回通して演奏し、そのうちの1回は当日と同じ機材で録音もした。何事もなければ、それとほぼ同じ音質で「T.A.D.コンサート’74」のライヴ・レコーディングがなされるはずであった。

 メンバー全員、去年の文化祭に比べて格段の進歩を見せていた。コードやフレーズの間違いが修正され、アドリブでごまかしていた部分も、できる限り完全コピーに近づけた。
 特に「ハートに灯をつけて」のソロにおいて秀は、最後の一週間でかなりまともにジェリーのフレーズをコピーした。ジェリーのフレーズをある程度きちんと弾くと、さすがに演奏の雰囲気がガラッと本物っぽくなった。
 メンバーの中で一番真剣に受験勉強に取り組んでいた次郎も、6月に入ってからは、ずいぶんとベースの練習に精をだしていたようだ。それまでもプレイする毎にベーシストとしての進歩を見せていたが、一週間前のリハーサルでは、さらに完成度を高めていた。

 メンバー全員、やることはやった。そしてついに、コンサート本番当日の6月15日を迎えることとなった。


             


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