15.滑走路(7)

 それから一週間ほどたったある日。
 高校から帰った秀は、ポストの中に一通の封筒が入っているのを見つけた。
 宛名は秀の名前になっている。手に取り、裏の差出人を見ると、なんとそこには「大林俊雄」と書かれていたではないか。
 あの、英語会話の投書欄のダイナミックス・ファンの人から、さっそく返事が来たのだ。
 渋山ゆりからの手紙がポストに入っていた時のうれしさやときめきとは、また違った種類の興奮が、秀を襲った。
 二階の自室に駆け上がり、カバンを床に投げ捨てると、もどかしさと闘いながら、ていねいに封を開けた。

 中には、3枚ほどの便箋が入っており、秀の手紙への返事が、きちんと、しかもびっしりと書かれていた。
「英語会話」に投稿が載って以来、何通かの手紙が来て、中には女性からの「文通申し込み」まであったそうだが、
「真面目にダイナミックスやベンチャーズについて、書いてきてくれたのは虹沢君だけです。」
 とも書いてあり、秀はうれしかった。事実、後で聞いた話では、大林さんが返事を出したのは、秀にだけだったという事だ。

 手紙の内容によれば、大林さんは1971年からベンチャーズのコンサートを見ており、初めて体験した生演奏でのジェリー・マギーの印象が強烈で、ずっと彼を応援しているのだという。
 もちろん'72年にもコンサートを見ていて、
「ノーキーも凄いギタリストだと思います。」
という、ノーキー・フリークである秀への配慮も忘れない、礼儀正しい文章であった。
 そして、9月6日の千葉県文化会館でのコンサート終了後、英語でジェリーに挨拶したのが大林さんである事も書かれてあった。
 さらには、秀や丈の存在をも記憶しており、楽屋にまで出入りした大林さんの立場から見ると、
「正直に言って、握手ぐらいで大喜びして、かわいいなあと
思った。」
とあり、秀も苦笑いであった。

 翌日秀はこの手紙を高校へ持っていき、次郎や丈、浩二に見せた。皆一様に驚き、感激の様子であった。
「へえ、こんな人もいるんだねえ。」
とは、丈の言葉であったが、見知らぬベンチャーズ・ファン同志がコミュニケーションを取り合う術が、ほとんどなかったこの時代に、手紙のやりとりをしたこと自体、極めてエキサイティングな体験であったと言える。
 もちろん、ベンチャーズのコンサートに足を運べば、そこには熱狂的な人達が、うようよと存在する訳だが、だからといって、だれ彼構わず話しかけては友達になってしまう、などということは、なかなか出来ない事だ。
 見知らぬファン同志が知り合うには、何かきっかけが必要な訳だが、「英語会話」のような、思いもよらぬメディアにおいて、そのような人の存在を知った時の驚きと喜びは大きく、秀に手紙を書く勢いを与えたのであった。

 秀はこの時、大林さんに悪い事をしたな、と思った事が一つある。
 それは、高校二年の秀の一年先輩であるから、当然大学受験を控えているはずの大林さんに対し、おかまいなしに情熱的な手紙を書きまくってしまったことである。
 後の手紙で大林さんは、
「受験が終るまでは封印しておこうと、ベッドの下にしまっておいたギターを、虹沢君からの手紙を受け取った日に、我慢できずに思わず引っ張り出して、弾いてしまったではありませんか。」
 と、苦笑気味の文章で、秀に小言を述べている。

 その後、秀は大林さんと2年間ほど密に手紙のやりとりをしたり、実際に会って話をしたり、あるいは一緒にベンチャーズのコンサートに足を運んだりして、楽しい交流を持ったのだった。
 その後お互いにファンとしてのブランクがあったり、仕事が忙しくなったりで、頻繁な交流はさすがになくなっていったが、付き合い自体はずっと続いている。
 
 しかし、知り合ってから2年ほど、ファン同志の枠を越えて、ベンチャーズに関しての情報交換はもちろんの事、恋愛や人生についておおいに語り合った事は、秀のベンチャーズ・ファンとしての歴史の中でも、非常に有意義で、かつ楽しい思い出として残っていくのであった。


             


トップ・ページに戻る