11.滑走路(3)

 翌朝、大山の麓を発った山陰組一行は、観光バスに乗り込み、進路を西へとり、島根県の松江へと向かった。
 宍道湖と松江城を見物したあと、東に戻り、鳥取砂丘を経て、夕方に四国組と京都で合流する手はずである。

 この修学旅行において、山陰コースを選んだ生徒の思い出話を現在聞くと、一様に「山陰は暗くて淋しかった」という返事が返ってくる。
 「おきらくみーちゃん」というホームページでおなじみの、軽音楽部のキーボーディスト、沖良久美子などは、大山の宿で同室の女の子達と「暗いよう、淋しいよう」と、泣いていたそうである。
 秀もこの時、山陰の良さを理解していたとは言いがたかった。おそらく落ち着いた風情のある山陰は、高校生がワイワイ言いながら過ごすには、ちょっと大人向けすぎたのかもしれない。

 しかも、ついていない時はついていないもので、松江城についたはよかったが、旅行業者の手違いで松江城はこの日、定休日であった。

        松江城

 しかたなく一行は松江城の外観だけを門の外から遠目に眺め、宍道湖畔を通って、鳥取砂丘へと向かったのであった。

       宍道湖

 鳥取砂丘へ向かう観光バスの中で、秀は重苦しい雰囲気を吹き飛ばすために、バスガイドさんからマイクを借りて、18番の「銭形平次のテーマ」を、舟木一夫のものまねで歌い、クラス・メートの喝采を浴びた。(と思う)
 ギターを持たない渡り鳥は、歌を歌うしか、自己表現の手段を持たなかったのであった。

 鳥取砂丘についたのは昼近くで、そこで昼食となった。昼食後、丈らとともに付近を散策したが、鳥取砂丘は意外に小ぢんまりとして、すぐに端から端まで歩き終えてしまった。アフリカの砂漠のような物を想像していた秀は、ちょっと拍子抜けであった。

        鳥取砂丘

 このように、山陰コースの旅は、実に淡々としたものであった。やはり、山陰の渋い風情は、高校生には20年早かったのだろうか。
 山陰組のほとんどの生徒が、3日目からの京都に期待を膨らませていた。


             



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