6.決断(3)

 約一週間の個人練習期間を経て、10月下旬に秀と丈、飯村、小和田の四人は昼休みにブラスバンド練習室に集まり、初めてのセッションを行なった。
 丈が常設のドラム・セットに座ると、秀も久々に家から持ってきた赤いテレキャスターと、エーストーンの35Wのアンプの間に、エルクのワウ・ファズを接続してスタンバイした。
 小和田は軽音部室から運び込んだYAMAHAのベース・アンプにジャズ・ベースをつなぐ。
 飯村はマイクを片手に椅子に座って待機していた。肩まで伸びた髪がロック・ヴォーカリスト然としていて、男の目から見てもカッコよかった。

 当時、PAのシステムなどというものは、まだ一般的でなく、「ヴォーカル・アンプ」と呼ばれた安価なシステムさえも手元にない。マイクもギター・アンプに突っ込んで歌うという、ヴォーカリストの飯村には極めて厳しい状況ではあったが、この頃の高校生バンドの練習風景などというものは、これがあたりまえだったのだ。

「みんなOK? そろそろ始めようか?」
 小和田が全員に声をかけると、丈がカウベルを叩き始めた。「ホンキー・トンク・ウィメン」だ。
 こんなテンポの曲をプレイするのは、秀は初めてであった。この曲が収められている「ライヴ・ザ・ベンチャーズ(’70年)」をまだ聴いていなかったし、それまでにコピーしたベンチャーズの曲にはないタイプのナンバーだった。ギターの奏法的にも、コード弾きとオブリガートを組み合わせた、これも秀には初体験のテクニックであった。
 実力派の丈と小和田の、安定したリズム隊に乗って、秀は気持ちよくギターを弾いた。
 バックの音量に負けないように、マイクを両手で包み込むように歌う飯村のヴォーカルも、軽音のエースの名に恥じないものであった。ミック・ジャガーのワイルドさを残しながら、自分のスタイルにうまくアレンジして歌い上げていた。

 秀はダブル・ノート・チョーキングを多用したバッキング・フレーズやソロを弾きながら、飯村の歌に関心することしきりだったが、驚いたのはもう一曲の、ツェッペリンの「移民の歌」だった。
 飯村は、ロバート・プラントのあのハイトーンを見事に再現し、激しく咆哮した。とても、安物のマイクとギター・アンプを使って流れる声には聴こえなかった。
 単純ながら、やや変則的なリズムのリフを刻みながら、秀は今、すごいユニットでプレイしているのだ、と実感した。
 飯村のヴォーカルだけではない。丈のドラムは言うまでもなく、小和田のベースも安定していて、フレーズのコピーも完璧だった。
 
 2曲演奏したところで、すぐにセッションは終わった。さらに演奏を楽しむには、昼休みは短すぎた。
「飯村って、色んな声が出せるんだね。移民の歌なんか、ロバート・プラントそっくりだったよ!」
 秀が感激の面持ちで言うと、飯村は照れくさそうに
「いやー、さすがにツェッペリンはきつい、きつい。」
と言いながら、マイクやアンプの片付けに入った。
 小和田もベースをケースにしまいながら、
「おもしろかった。またやろうよ。」
と、満足そうな表情であった。
 丈はスティックを置くと、
「ベンチャーズ以外の曲も、たまにはいいね。」
と気分よさそうに、秀の片付けを手伝った。
 秀も大きくうなずいた。
 だが一方では、心の隅に、何かひっかかるもの、なんだか満たされないものを感じたのであった。