5.決断(2)

 ちょうどその頃、軽音楽部のヴォーカリスト飯村政彦と、秀と同じクラスでベーシストの小和田俊一が、バンドを解散したばかりで、遊んでいた。
 飯村と小和田のバンドは、一つのアーチストに固執せず、国内外の色々なアーチストの曲をプレイしていたロック・バンドだったが、一番最近の軽音コンサートを最後に、活動を停止していた。メンバー間で何やら意見の対立があったらしい。

 ある日の休憩時間に秀は、小和田と雑談をしていた。この頃の秀は、ベンチャーズ以外のロック・アーチストや、楽器の情報は、この小和田から仕入れる事が多かった。
 話が他校の文化祭の事に及び、秀は足立区の高校で見たバンドの様子と感想を述べたあと、ポツンと
「ああいう感じなら、俺もちょっとやってみたい気がする。」
と言った。
 すると小和田はちょっと驚いて、
「へえ、ベンチャーズ以外は見向きもしない虹ちゃんが、めずらしい事言うね。」
 秀が「ベンチャーズ一辺倒」なのは、もう軽音楽部内でも、動かし難い定説になっていたのだ。
 しかし小和田はぐっと身を乗り出してきて、
「虹ちゃん、ストーンズとかやってみたいんなら、俺や飯村とちょっと遊んでみない?」
と提案してきた。秀も小和田や飯村とやってみるのも、ちょっとおもしろいかな、と思ったので、
「そうだね。ドラムは中尾に声をかけてみるよ。」
と、小和田の話に乗る事にした。

 秀はさっそく丈に声をかけてみたが、もともと色々な音楽に耳を傾けていた丈は、
「ああ、いいねえ。おもしろいんじゃない?」
と、乗ってきた。思えば初めて秀と出会った時、丈は秀のギターでグランド・ファンクの「ハート・ブレイカー」を弾いたのだった。
 一方、ヴォーカルの飯村政彦には、小和田が話をしたが、彼は前のバンドの解散間もないところで、ちょっと慎重になっていた。
「しばらくは、真剣にバンドやりたくないんだよ。」
と言っているらしい。
 そこで秀は小和田とともに直接飯村の所へ行き、話をした。
「これからずっとこのメンバーで固定して活動するって訳じゃなくてさ、軽いセッションだよ、セッション。」
 すると飯村は軽くうなずいて、
「まあ、遊びでやるならいいよ。」
と、承諾した。

 なんとここに、編成的にはヴォーカル、ギター、ベース、ドラムスという、レッド・ツェッペリン・タイプのバンドが誕生してしまった。それまでGSやエレキ・インスト一筋だった秀が、ロック・ギタリストの分野に足を踏み入れる事になったのである。
 この頃の秀の概念では、GSもベンチャーズも「ロック」ではなかった。GSは「GS」であり、ベンチャーズは「エレキ・インストの最高峰」で、まったく特別な物として、頭の中で分類されていた。

 さっそく秀、丈、小和田、飯村の四人はディスカッションし、バンドの方向性を話し合った。
 そして、あくまで正式なフィックス・グループとしてではなく、セッション的な、気楽に楽しむユニットとして活動する事を再確認した。
 とりあえずリハーサル用に2曲選ぼうという事になって、ストーンズの「ホンキー・トンク・ウィメン」とツェッペリンの「移民の歌」が選ばれた。

 秀は小和田や飯村からレコードを借り、丈に録音してもらって、ギター・パートのコピーを始めた。
 T.A.D.では、ほとんど「メロディー」ばかり弾いているので、コード・カッティングやリフを弾くのは新鮮であったが、経験がないので、なかなか手強いものがあった。
 インストしか知らない秀は、ロック・ギターの弾き方をほとんど知らないと言ってよかった。それがベンチャーズのリードを弾くにあたっても、少なからず障害になっていると言えた。ロック・スピリットがなければ、ノーキーやジェリーのフレーズを弾いてもサマにはならないのだ。
 飯村、小和田とのセッションは、秀のプレイの幅を広げるための、一つのステップになる可能性を秘めていた。