第1章 流浪編

         4.アパッチの矢が飛んだ(4)

 翌日秀は、午前中の授業が終わると、学食で昼食をとってから「合唱団よもぎ」の部室に向かった。
 どうにも昨日の昼休みにチラッと耳にした「アパッチ」が気になって、とりあえずあのギタリストと話をしてみたいと思ったのだ。
 当時のY大学の構内には合計9つの校舎があった。その中の2号館の地下に学生のためのホールが二つあったが、それぞれ「地下男子ホール」と「地下女子ホール」と呼ばれていた。元々は男子学生用と女子学生用の憩いの場として設置されたものと思われるが、長い年月を経て、現在は部室をもてない数え切れないほどの新興サークルが、机やイス、棚等を持ち込み、出店でにぎわう市場のような状態になっている。
「合唱団よもぎ」の部室は女子ホールにある。
 部室といっても、専用の部屋があるわけではなく、陣取りゲームのように、テーブルやイスを置いたスペースがあるだけのものだ。隣りのサークルとの仕切りなどもまったくない。
 2号館の地下ホール入り口から階段を降りた秀は、いきなりこの情景を目の当たりにして、一瞬たじろいでしまった。
 おそらく六十畳ぐらいであろうか、それほど広くはない空間に、いったいいくつのサークルがしのぎを削っているのか。
 おおいに戸惑いながらもホール内をざっと見渡すと、向かいの壁際中央に「合唱団よもぎ」の看板が天井から下がっているのが見えた。
 およそ7〜8人の部員がテーブルの周りに腰掛け、談笑したり雑誌を読んだりしている。
 そして一番奥の方に、かなり尊大な態度と姿勢でギターを爪弾いている男が見えた。
「あの人だ。」
と秀は思った。昨日、中庭で「アパッチ」を弾いた男。
 秀が意を決して「よもぎ」のエリアに近づいて行くと、昨日話しかけてきた勧誘係の井崎と目が合った。
「やあ、来てくれたんだね。」
 井崎はニッコリと笑って出迎えてくれた。
「こんにちわ。とりあえず話を聞きに来ました。」
軽く会釈した秀に、他の先輩部員たちの視線が集中した。
「昨日、昼休みの『うたう会』を聴きに来てくれた、えーと、何君だっけ?」
 井崎が部員たちに秀を紹介しようとしたが、秀はまだ名前を教えていなかった。
「虹沢です。」
「そうそう、虹沢君だ。とりあえず今日は様子を見に来てくれたそうなんだけど。」
 それから何人かの部員が秀の周りにすわり、しきりに入部を勧めた。秀は歌をうたう事には興味がなかったので、のらりくらりとかわしながら、時を過ごした。秀の目当ては「アパッチのギタリスト」だけなのだ。
 だが、その男は奥の方の席にいて、ぶっきらぼうな態度でギターを爪弾き、秀の方には見向きもしない。
 秀も自分からは積極的に初対面の相手に話しかけられるタイプではない。仕方なく頃合いを見て、井崎にそっと耳打ちした。
「あの、奥でギター弾いてる人と話したいんですけど。」
 すると井崎は「ああ」とうなずき、
「新沼だね。昨日から気になっていたみたいだものね。」
と言って、黙々とギターを弾いていたその男に、声をかけてくれた。
「新入生の彼が、君と話したがってるよ。昨日の演奏を聴いて興味を持ったみたいだ。彼もギターを弾くんだって。」
 新沼と呼ばれた男は、ニコリともせずにジロッと秀をにらみつけ、けだるそうに席を立って、秀の横に移動してきた。
 なんだか不良っぽくて怖い男だ。自分から望んで井崎に声をかけてもらいながら、秀はその場を逃げ出したくなっていた。

             


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