第1章 流浪編

         2.アパッチの矢が飛んだ(2)

 4月も終わりに近いある日の昼休み、秀は一人で大学構内の中庭をブラブラと歩いていた。
 その日は語学の講義がなく、クラスの友人も選んでいない専門科目だけだったので、一緒に昼食をとる相手がいなかったのだ。秀はとりあえず昼食をとりに、中庭に面した、大学の長い歴史を感じさせるような、かなり古びた内装の学食に入った。
 1975年当時のY大学の白山校舎は、学生数の増加とともに、徐々に建て増しをしてきていたらしく、1号館から9号館まである教室、その他講堂や図書館まで、すべてが年代の違いを見せる外観を備えていた。
 正門から入ると、長いスロープがあり、右手に3号館を眺めながら登りきると、2号館と5号館に挟まれた中庭が開けている。
 B定食を平らげた秀が外に出ると、中庭の中央で「うたごえ」系の合唱団サークルが「うたう会」と称して演奏していた。
「うたごえ」とは簡単に言うと、愛や青春や平和などをテーマにした歌を「さあ、皆で一緒に歌おう!」という感じで楽しむ形式の音楽文化だ。
 具体的によく歌われる曲目は「若者たち」「友よ」「今日の日はさようなら」等の、’60年代後期から’70年代初頭にかけて流行した、どちらかといえば健康的なフォーク・ソングが多く、ステージと客席が一体となって歌うのが特徴である。
 多くの場合、リード・ヴォーカル担当者、あるいは司会進行役が、歌詞をワン・フレーズ先読みして、客席全員が歌詞を覚えていなくても一緒に歌える配慮をする。
 そういう、うたごえサークルが、毎日昼休みになると、アンプやドラムをセットして、楽しそうに歌っているのは、秀も大学入学直後から知っていた。
 ただ、そのサークルのレパートリーの大半が、その頃の秀にとっては退屈な日本のフォーク・ソングだったので、気にもとめていなかったのだ。
 しかし、その日はなぜかその場に足を止めて、そのサークルの歌と演奏を、しばし聴き入ってしまった。
 これが、運命の神様のいたずらだった。
 サークルの名前は「合唱団よもぎ」といった。アンプの後ろに立てかけてあるベニヤの看板にそう書いてあったのだ。
 男女一人ずつのリード・ヴォーカル兼司会進行役が中央に立ち、マイクを持って歌っている。その左右に4,5人の男女の部員が、スクール・メイツのように振り付けをしながらマイクなしで合唱していた。

 合唱団よもぎ
「歌う会」演奏風景
(1975年5月31日)



 運命のいたずらは、曲間に司会の男子部員と女子部員が、
「皆さん、こんにちわあ! 今日もいい天気ですね。」
「そうですね!」
などと、対話形式でおしゃべりをしている時に起こった。
 歌や振り付けを担当する部員の後ろには、ギター、ベース、ドラムというシンプルな編成のバック・バンドが控えていたのだが、その中のギタリストが手持ち無沙汰な感じで、小さな音で何かしらのフレーズを弾いて、退屈しのぎをしていた。
 歌やおしゃべりよりも、秀の耳は自然にそっちのほうへアンテナの周波数をあわせていた。
 ギタリストは長髪で一見目つきの悪い、不良っぽい男だった。そのギタリストが、ベース担当の部員に向かってニヤニヤしながら弾いた次のフレーズを聴いた瞬間、秀は我が耳を疑った。
「アパッチ・・・。アパッチを弾いたぞ。」
 ギタリストはなんと、ベンチャーズ・スタイルでアパッチのサビ前の一節と、それに付随する、
「ヒュッ、ヒュッ、ヒュッ・・・」
というピック・スクラッチを弾いたのだ。秀は目を見開き、思わず身をグッと乗り出していた。
 そこで司会者のおしゃべりは終わり、またうたごえの曲演奏に戻ったのだが、もはや秀の耳には歌などは聴こえてこなかった。
 バック・バンドのギタリストが今しがた弾いた、アパッチの矢が飛び交う音が、いつまでも頭の中で鳴り響いているのだった。


             


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