第1章 流浪編

         1.アパッチの矢が飛んだ(1)

 1975年4月、18才になった秀は、Y大学に入学した。
 経営学部の商学科という事だが、これといって将来の設計がある訳ではない。大学入試を突破するために、自分の学力と受験する大学や学部の難易度とを照らし合わせた結果である。
 キャンバスは文京区の白山にある。千葉県柏市の自宅から通学する秀の経路は、国鉄常磐線柏から快速で日暮里に出て、山手線に乗り換え巣鴨へ。巣鴨からは都営地下鉄6号線(現在の三田線)あるいはバスか徒歩で白山に向かう。だいたい1時間半ほどの通学時間だが、朝のラッシュ・アワーにおける常磐線の混み様が半端でないのには、ちょっと閉口していた。
 入学後の半月ほどは、カリキュラム決定のための説明その他で講義はまったくなかった。大学卒業後のビジョンが何一つ決まっていない秀は、高校までとは違い、自分で自分の時間割を決める大学のスタイルに戸惑いながら、ほとんど当てずっぽうで専門科目を選択し、カリキュラムを決めた。
 必修科目のうち、語学は英語の他に第二外国語を選ばなければならない。兄からは「ドイツ語が一番やさしくて楽だぞ」とアドバイスを受けていたが、なんとなくロマンチックなイメージに挽かれて、フランス語を選んでしまった。何やらむずかしそうだったが、どうせなら多少の会話ぐらいはできるようになりたいと、NHKラジオのフランス語講座を聴き始めたりしたのだから、この時点では秀にも多少の勉学意欲があったのだ。
 何しろ、高校時代のように毎日ベンチャーズの事を語りあったり、バンドをやったりする相手がいない。必修科目である英語のクラスが、必然的に高校までで言う「クラス」となっていたが、そこでの自己紹介で、
「趣味はギター、好きなアーチストはベンチャーズです。」
と一応のアピールはしてみたものの、まったく反応がない。
 自然と自宅のギターはハード・ケースがら出される事が少なくなり、四月の下旬までは音楽とは無縁の生活が続いた。

 新年度が始まったばかりの大学のキャンバスでは、多種多様なサークルが、新入生勧誘のためのデモンストレーションやイベントを、連日盛んに行っていた。
 特に昼休みには、ブラスバンドや軽音楽、ロック系のサークルが、中庭、講堂、大教室等、大学構内のありとあらゆるスペースを使って生演奏を披露し、秀がひとしきり足を止める事も多かった。
 自分が「入りたいなあ」と思えるサークルがあるかどうか、学内を毎日のように歩き回っていたのだ。
 しかし、秀にとってはどれもこれも、今ひとつ決定打がなかった。
 高校時代に経験していないのと、ギターの入った音楽にしか興味が持てなかったので、ブラスバンド系には最初から入る気がない。
 ロック系のサークルは、肩はおろか背中まであろうかと思われる長髪と、いかにも「俺はロックをやっているんだぞ」と言わんばかりのファッションや顔つきの先輩部員が怖そうで、とても秀の入って行ける世界ではなさそうだ。
 ベンチャーズのようなエレキ・インストを演奏しているサークルがないかどうか、ほとんど期待せずに見回ってみたが、案の定そんな団体は存在しない。
 時は’70年代中期、ある意味ベンチャーズ・ファンが世間から一番辛くあたられた頃なのだ。
 ’60年代のエレキ・ブームから中途半端に近く「ちょっと前に流行して、今はブームが過ぎ去った」一番格好の悪い状態。
 音楽雑誌を始めとしたマスコミもベンチャーズをまともに取り上げてくれず「ベンチャーズが好きだ」「ベンチャーズに影響を受けた」などと公言するのがはばかられた時代。
 そんな音楽的状況の中、よほどの変わった人間ぐらいしか、ベンチャーズのようなエレキ・インストを演奏しようなどというプレイヤーは存在しないのだろう。
「やっぱり大学ではバンド活動は無理だな。ちょっとは真面目に勉強するか。」
 4月の下旬には、秀はそんな気持ちになって、サークルのデモンストレーション巡りもしなくなり、暇な時には語学のクラスでできた友人とお茶を飲んで談笑したりする毎日になった。
 だが、運命の神様は秀をそのまま放ってはおかなかった。

             


トップ・ページに戻る